*SAKULIFE*

音楽と桜とミルクティーが好きな社会人が、日々の想い出やお気に入りをしまっておく宝箱。

『劇場』

劇場

『劇場』

Amazon Primeにて視聴しました。

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小劇団を主宰する山崎賢人と、女優を目指して上京し、服飾の学校に通う松岡茉優の2人の物語。

原作は又吉の小説なんだね。
エンドロールで知った。

『夢を叶える人』が観れば感じ方は違うのだろうな、と思いながら観ていたので、原作又吉というのはなんだかすごく納得できた。

きっと、『夢を叶える人』、『夢を叶えようとしたことがある人』には、響くものがある作品なのだと思う。

大学生の頃から、
『夢を叶える人』と、『未来を築く人』の違いについてずっと考えてきた。
(細かいことだけれど、他人が『夢を追う人』と言うのはなんだか上から目線な気がして、わたしは『夢を叶える人』と呼ぶことにしている)

わたしは圧倒的に後者で、自分に『才能がある』と思ったことはないし、サラリーマンとして生きているわたしには、響けない作品だったかもしれない。

大学生の頃は、『夢を叶える人』ってすごいな、と思っていた。
『夢を叶える人』になるために、他の安定した選択肢を擲って、夢を追いかけられるのがすごいな、と思っていた。

わたしには追いかけたい夢もなければ信じられる才能もなかった。

でも、最近になって、『夢を叶える人』が、夢を叶えようと大多数の『未来を築く人』と違う選択をする瞬間って、もしかしたら“勢い”なんじゃないかと思うようになった。

“勢い”のまま走り出して、どこかで立ち止まる瞬間がある。
その、“立ち止まった瞬間”からはじまるのが、『劇場』なんだと思う。
だから、最初の台詞が
「いつまで持つだろうか」
なのだと思う。

もちろん、“勢い”のまま走り出せる夢や才能がその手にあることはうらやましくもあるし、自分には絶対できないまぶしさがある。

でも、
「いつまで持つだろうか」
から始まるこの映画の時間の経過はとても残酷だ。

さっきまで観ていた『マチネの終わりに』と違って、この映画は時間の経過が正確には分からない。
はじまりの2人の年齢もあまり分からない。

それでも、松岡茉優の髪は伸びるし、短くなるし、季節はめぐる。

途中、松岡茉優演じる沙希が年齢を言うんだけれど、そこで、はじまりの年齢は分からないけど、それなりの年月が経過していることを観ている者に気づかせる。

残酷だ。

女の20代がこんな風に過ぎ去ってしまうだなんて。

そう思ってしまうのは、わたしが『未来を築く人』だからなんだろうか。
わたしも結婚できてないから、うまく未来は築けていないんだけれども。

わたしから観たら、
『夢追う男に20代の貴重な時間を奪われた女の話』
に見えてしまう。

でもきっと、他の人が観たら、きっと見え方が異なるんだろう。

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ほんとに山崎賢人が屑過ぎて山崎賢人じゃなければ全部観られなかった。
山崎賢人山崎賢人で、序盤とか『グッドドクター』の湊先生のエッセンスを感じる瞬間があって、屑なのに許してしまいそうになるからやめてほしい。(無理言うな同じ人)

でも、山崎賢人の役柄も、『夢を叶える人』から見たら、「あるある」なんだろうか、とも思う。
わたしはしがないサラリーマンで、つい全部正論で話を突き通そうとしてしまうけど、正論だけで語ってしまうと、この映画は
山崎賢人が屑!」
で終わってしまう。

松岡茉優はほんとうに素晴らしい女優さんだと思う。
蜜蜂と遠雷』も『勝手にふるえてろ』も主演。どちらも好きな映画だ。
松岡茉優演じる沙希は、山崎賢人演じる永田からお財布をもらっただけで
「ありがとう~かわいい~」
と号泣してしまうくらい、永田に言わせると“感情に従順な”女の子。

そんな素直な沙希ちゃんが、時間の経過とともにどんどん荒んでいく姿を見ているのが見ていてつらい。

永田とともに上京し、劇団を旗揚げする野原役は寛一郎さん。
この端正な顔立ちのイケメンは誰………?と思っていたら、佐藤浩市のご子息らしい。

伊藤沙莉さんをこの作品で初めて認識。

そしてKing Gnu井口さん!
注意して観てたのに全然気づけなくて、雑誌の写真のカットで初めて気づいてちょっと笑ってしまった。

そしてそして超特急!
そういえば話題になってた!
完全に忘れてた!
「Billion Beats」!
タカシくんの歌声!

しかし、出てくるのが割と終盤で、永田と沙希の会話の内容が、全然Happy Beatで♪じゃなさすぎて悲しすぎた………。

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ここからは、物語の台詞にも触れていきます。

松岡茉優ちゃん演じる沙希に肩入れしてしまうと、観ているのがつらいなぁと思う。

山崎賢人屑すぎてひどい。
「人の家の光熱費払うのってどうのこうの」でわたしが沙希ちゃんの代わりにブロック(レゴじゃなくて石で重いほう、映画に出てくる)で山崎賢人の頭殴りたくなった。
(『マチネの終わりに』からわたしすごい怒ってるけど、日常生活でこんなに怒ったり苛々することあまりないので、映画を観る方が怒ること増えて、不健全なのでは?と思い始めている)

途中から意図的かわからないけど劇団の描写が全くなくなって、ほんとに演劇続けてるのかただのニートなのかよく分からなくなってきていたし。
(井口さんの台詞的に劇団も小休止的な感じになってしまっているのかな)

途中の野原の台詞
「周りから『才能がある』と思われてないことには気づいてる?」
これは厳しい言葉だけれど、言葉選びには最大限のやさしさがあると思う。

だって、
「周りから『才能がない』と思われてることには気づいてる?」
じゃないから。

“才能”ってなんなんだろうね。
“才能”って言葉が人を惑わせ迷わせている気がする。

本当はこの世のどこにも“才能”なんてものはないのかもしれない。

どこにもないものを探すから、みんな惑うし迷うのかも。

最後の沙希の台詞で、それまで見えなかった沙希の想いが初めて分かる。
最後の最後で。

「いつまでたっても何も変わらないじゃん。
でもね、変わったらもっと嫌だよ。だから仕方ないよ。
本当は永くんなんにも悪くないんだもん。
何も変わってないんだからさ。
勝手に歳をとって、焦って変わったのは私の方だから。
だからどんどん自分が嫌いになってく。ダメだよね」

相手は何も変わってなくて、わたしの方が変わってしまった…………というのに身に覚えが(自分の身ではないんだけど)ありすぎた…………。

永くんなんにも悪くないことは、ないよ………。
絶対にないのよ………。

「わたしはずっと、諦めるきっかけを探してたんだよ。
何も悪いことしてないのにずっと変な罪悪感みたいなものがあったからさ。
永くんのおかげで、惨めな気持ちじゃなくて東京を楽しい気持ちで歩けたんだよ。
永くんがいなかったら、もっと早く帰ってた。絶対」

そうか、このお話は“東京”という哲学を内包していたのか、と思う。
“東京”は夢であり哲学であり物語なんだなぁと思う。
地方在住のわたしには、その気持ちはわからん。

アパートの壁ぱたんぱたん倒れた演出美しかったけど驚いた笑

エンドロールの演出も好きだし、野原はもちろん青山が戻ってきてくれているのを知ることができたのもよかったなぁ。

あの後、沙希ちゃんはどうしたんだろう。別のシーンで劇場の入り口に立って挨拶してたしきっと永くんにまた会えたよね。

散々山崎賢人が屑だと言ったけど、ラストシーンで劇中劇を演じてる山崎賢人の表情を観ていると、惹きつけるものが絶対にあるし(そりゃ山崎賢人だからそうなんだけど)、これまでの全部が許せてしまいそうな輝きを見いだしてしまって、また沙希ちゃんとうまくいけばいいのに、と思わずにはいられなくなってしまいました。

山崎賢人、罪…………。

しかし、ブロック(レゴじゃなくて石で重いほう)が何かの伏線で、最後にどちらかがどちらかの頭をブロックで殴って終わるバイオレンス作品だったらどうしようかと、ブロックが出てきたときにずっと思っていたので、そういうことはなくてよかった。そういえばあのブロック最後どうしたんだろうか……。