わたしはテレビが苦手だ。
テレビが苦手というか、観たい番組のために時間通りにテレビの前に向かうことが苦手だ。
「録画すればいい」
というのは間違いない指摘なのだが、わたしの部屋のハードディスクレコーダー(Blu-rayではなく、ハードディスク)は、何年も前から容量が限界を迎えていて、残り時間に余裕があってもやたらと録画に失敗する。
しかも、起動にやたらと時間がかかるうえ、起動するたびに出てくる
「容量がいっぱいです」
という警告を毎度消さなければならない。
そのため、もう何年もレコーダーはディスクの再生専用機器と化してしまっている。
そんなこんなで、わたしはテレビをほとんど観ない。
そんなわたしにとって、見逃し配信は非常にありがたいシステムだ。
自分があらかじめ録画ボタンを押していなくとも、時間に縛られず、観たい番組をいつでも観られる。
テレビだけでなく、スマホでも。令和に感謝である。
……といいつつ、そんなにテレビを観る機会が増えたわけではないんだけども。
今期は『コントが始まる』を観ている。
1話から気になっていたのに、結局観始めたのは3話から。
わたしよ、そーゆーとこやで。
と思いつつそういう性格なのでしかたない。
https://tver.jp/corner/f0073742
TVerのホームをぼんやりと眺めていると、わたしの知らないうちに、おもしろそうなドラマがたくさん放送されてるんだなぁと思う。
しかもこの量のドラマが、3ヵ月に1回、総取っ替えされてるんだもんなぁ。
最近は配信限定のスピンオフドラマとかもあるし。
テレビ業界って大変だなぁ。
走り続けていないと死んじゃう業界なのかなぁ。
などとぼんやり思いながら、『コントが始まる』の再生ボタンを押す。
わたしが観始めた3話からは、有村架純さんと古川琴音さんの姉妹の過去について掘り下げられ始めている。
姉を救った妹、という描かれ方をされているけど、姉妹に共通しているのは、“自分を犠牲にして他人を守り、助けてしまう”性格だと思う。
特に今後深く描かれるであろう妹のつむぎ。
中高6年間を野球部のマネージャーとして勤め上げ、引退すると燃え尽きて大学へも進学せず仕事が長続きせずに転々とする……。
東京に来てから
「野球部のマネージャーみたいな仕事ないかなぁ」
と言って姉とそのような仕事を考えるが分からず、スナックで働き始める。
球を投げる代わりにお酒を作り、スコアブックをつける代わりに伝票をつける。
姉の里穂子も、「言われたことはきちんとやる性格」と言って、理不尽になすりつけられた責任を全部とる形で会社を辞めている。
「何かを頑張ろうとする気持ちを抑える日が来るなんて思ってなかったし、頑張らなくて良い方を選択したこともなかったんで…こんなはずじゃなかったのになって」
この里穂子の台詞、苦しくてせつない。
思い詰めてるとなんだか体調悪くなってきたのでここでいったん筆を置こうと思う。
(5/10 23:50)
(5/11 02:18)
眠れないので再び筆を進める。
物語の核であるお笑いトリオ“マクベス”の3人(菅田将暉、神木隆之介、仲野太賀)のそれぞれの事情も掘り下げられてはいるのだけれど、わたしはどうしても里穂子(有村架純)・つむぎ(古川琴音)姉妹に心が向いてしまう。
この姉妹、あまりに利他的すぎる。
もっと、利己的に、自分のために生きてほしいと思ってしまう。
マネージャーってすごいと思う。
わたしは、人のために何かを一生懸命がんばることはできない。
回想シーンでつむぎが大学に行かずアルバイト生活を始めたと姉の里穂子が語るのを聞いて、思わず「えっ」と言ってしまった。
ドラマの設定とはいえ、誰か止めてほしかった。
マネージャーを引退した段階で、つむぎちゃんに「自分のために生きること」を誰か教えてほしかった。
マネージャー以外に“誰かを献身的に支える”才能を活かせる進路を、誰か一緒に考えてほしかった。
そう思っても、時間は巻き戻せない。
『コントが始まる』を観ていると、先日観た『劇場』を思い出す。
こちらもわたしは主演の山崎賢人ではなく、松岡茉優ちゃんに心を寄せながら観ていた。
先日書いた記事で、時間の流れが“残酷”だと書いた。
それは、松岡茉優ちゃん演じる沙希の20代というかけがえのない時間と才能と可能性が、山崎賢人演じる永田によって奪われてしまっているから。
自分ではない他者の手によって、時間が、才能が、可能性が奪われている。
その事実が“残酷”だと感じた。
そう思っても、時間は巻き戻せない。
だからこそ、残酷な物語だと思った。
もちろん沙希もずっと永田と一緒にいたんだから、彼女自身の選択だとも思う。
実際観ている途中でも、別れない沙希の心中がよく分からなかったし、沙希の想いはクライマックスの長ゼリをもってしても完全に理解するのは難しい。
誰か沙希ちゃんに言ってほしかった。
「別れた方がいい」と。
書いていて思ったけれど、わたしは
「誰か○○してほしかった」
とばかり言っている。
わたしは“誰か”に頼り過ぎなんだろうか。
でも、もし、わたしがつむぎちゃんや沙希の友人なら、きっと止めていたと思う。
大学に行かないという選択や、永田と付き合い続けるという選択を。
なれるのであれば、わたしはその“誰か”になりたかった。おこがましいけど。それくらいの気持ちでいる。
つむぎちゃんや沙希のような、“誰かを献身的に支える”女性の姿が美化されるのは、今の時代、不健全だと思えてならない。
もっと自分のために生きたっていい。
わたしは結果的に今、つむぎちゃんよりも、姉の里穂子よりも、沙希よりも年上で結婚もできていないけれど、それを後悔しつつも受け入れているのは、これまでの人生の選択を、すべて自分自身が決めてきたからだ。
これは、わたしが恵まれた環境で生きてきたからこそ可能な選択だということもわかっている。
それでも、人はみんな、自分のために自分の人生の時間を使う権利がある。
自分の人生を、他人に委ねてはいけない。
そう思う。
つむぎちゃんがこれからどんな道を生きていくのか分からない。スナックが天職ならそれでいい。とにかく、他人のエゴかもしれないけど、つむぎちゃんにはもっと自分のために生きてほしいし、幸せになってほしい。もちろん里穂子も。
『コントが始まる』今後の展開も楽しみだ。