*SAKULIFE*

音楽と桜とミルクティーが好きな社会人が、日々の想い出やお気に入りをしまっておく宝箱。

橋裏スクリーン、雲の逆鱗。

f:id:cherryoulife:20210618010337j:image
よく歩く小道の隣に、ちいさな川が流れている。

大雨が降ったときに水を逃がすためなのか、周りの田んぼに水を引くためなのか、なんのためにあるのかは分からない。

幅が数メートルしかないちいさい川だけれど、川へと続く2メートルほどの高さの土手がとても急で、落ちたら這い上がれない蟻地獄のよう。

小道には一応柵があるけど、うっかり落ちたら自力では上がってこれないと思う。あぶない。

何度となくこの川の横を歩いてきたけど、わたしはこの川のことを全然知らない。

その川はちいさいくせに、いっちょまえに線路や道路と垂直に交わっていて、線路と道路はこのちいさい川があるためにそこだけ短い橋になっている。

昼間に歩くこの小道は、この頭上の線路と道路の短い橋のおかげで、影が多い。

真昼の日差しは完全に夏の様相。
今日も焼けたくなくて、急ぎ足でこの小道を歩いていたら、普段は日よけ雨よけの屋根がわりとしか思っていない頭上の橋の裏側が、きらきらと光っているのに気がついた。

橋の裏側。
裏なんだから、影にはなっても光にはなり得ない部分だ。

よく見ると、脇のちいさな川の水面が、太陽の光を受けて反射して、その光が真上の橋の裏側に映し出されていた。

ただ平たいだけの真っ白なコンクリートの橋の裏側がスクリーンに、そして太陽の光が映写機の代わりになって、川のせせらぎから生まれる光を映し出していた。

学校のプールの底や、お風呂の浴槽の底に見える、白の光の網目みたいな模様だ。
網目からのびる薄い膜は、風に揺れるカーテンのようにはらはらとゆらめいている。

美しかった。

何年も通る道なのにこんな光が見えるだなんて知らなかった。
気づいていなかっただけかもしれない。

でも、太陽光の入射角とかいろいろ条件がありそうだから、いつでも見られるものではないだろう。

おそるおそる川を覗き込んでみる。
ちいさな川は浅くて、土色の底が見えている。
それだけきれいな水質ということなのかもしれないが、この川だけを見ても、わたしはきっと美しいなんて思わなかった。

水面の光が反転して、それが橋の裏側に映し出されてはじめて、いつも通る道の隣には、こんなにも美しいせせらぎがあったんだと言うことに気づかされた。

いつも通る道に、こんな新しい発見があるだなんて思わなかった。

変わらない日常、繰り返しの日常にも、きっと、さりげないところに変化や気づきのかけらが落ちているのだなと思った。

*********************************************

そして帰り道。

最寄り駅に着き、電車のドアが開いた瞬間驚いた。

 

おおあめ。

すがすがしいまでの おおあめ。

 

真昼の光のゆらめきはどこへやら、空の逆鱗に触れたかのような、おおあめ。

地面を打つ雨粒が跳ね返って踊る、おおあめ。

ちょうど降りたところには屋根がなかった。
もっと早く言ってくれたら屋根があるところの車両まで移動したのに。
紙袋に明日担当先で渡す書類が入ってるのに!!!

雨が駅の屋根を猛烈に叩いてる音がする。
雨が降っているときに屋内で雨の音を聞くのは好きな方だけど、今日は担当先で渡す書類が濡れた疑惑があるから今日の雨には恨みがある。
だから、今日の雨音はおもしろくない。人は勝手である。

改札を出たら、サラリーマンも学生も、みんながみんなおおあめを前に立ち尽くしていてちょっとおもしろかった。

わたしもこの雨ではどうしようもないのでお迎えをお願いした。

とはいえなんだかんだ屋根の下から見る雨の姿はおもしろい。
空が感情を爆発させたかのような雨はもはやすがすがしさすら感じる。

しかし、空も思いっきり泣いてすっきりしたのか、お迎えを待つ間に目に見えて雨足が弱くなっていく。

え。
あなた夕立だったの?
雨足が弱まって初めて、夏が近づいていること、夏には夕立という現象が存在することを思い出した。

せっかくお迎えお願いしたのに申し訳ないから、もうちょっと降ってほしい。人は勝手である。

次々とお迎えの車が現れてはひとり、またひとりと車に吸い込まれて消えていく。

そこへ、傘をさしたおっちゃんがとことこ歩いてやってきた。

わたしの後ろにいらしたおばさまがおっちゃんに向かって歩いていく。
どうやらご夫婦らしい。

するとおっちゃんが、奥さまに持っていた傘をにこにこと差し出した。

え。

おっちゃん歩いて奥さま迎えに来たの?
家どこだかわかんないけど、さっきまでものすごい雨降ってたよ?

雨降ってきたから傘持って歩いて迎えに行く光景だなんて、トトロ以外で初めて見た。

この駅はすぐ近くにはそんなに家がない。
だから、間違いなくある程度は歩かないといけないはずで、家はどこだか分からないけど、家をお出になったときはさっきのすがすがしいまでの大雨だったはずなのだ。それなのに。歩いて。奥さまに傘を届けるために。

わたしが後ろで衝撃を受けているだなんてつゆ知らず、奥さまは傘を受け取り、ふたり並んで歩いて消えていった。


その姿を勝手ながら見送るわたしは、いつの間にかお迎えを待つ最後のひとりになってしまっていた。

ぽつんとひとり、ぽかんとしたまま、見送ったご夫婦のことを思った。


愛だ。


先ほどのご夫婦の光景は、わたしの人生の、想像の範疇を超えた、愛であった。

変わらない日常、繰り返しの日常にも、きっと、さりげないところにドラマのかけらが落ちているのだなと思った。