きみの居場所。
あたえる
生きていく中での“気づき”を大切にしたいタイプなので、ノウハウ本や自己啓発本は読まない。
子どもの頃から片付けが苦手で、片付けると言って元より散らかしては途方に暮れるようなタイプだったわたしが、
片付けをする上で大切なのは、“ものの居場所を決めること”
という事実に気づけたことは、自分で自分を褒めたい出来事の数少ないうちのひとつだと思う。
片付けのノウハウ本を開けば1ページ目に載っていそうな事柄だけれども、それを自分自身で気づけたことに大きな意味がある。
とはいえ、京都の自分の部屋は、居場所を与えようにもものが多く、場所が足りない状態だった。
だから、よく思っていた。
この部屋を飛び出して、ゼロから生活を作ってみたい。
人生分からぬもので、今わたしは、京都にいた頃の自分が渇望していた、ゼロから作る生活を実現している。
必要最低限なもの以外はすべて京都に置いてきた。
初冬に着られるコートまで置いてきた。これは置いて来すぎた。
そして、必要なものをあつめていく。
あつめる
あつめたものには、居場所をあたえる。
彼の上にはものが置ける。
これが便利だ。
仕事で毎日つけているネックレス。
ほんとの居場所はここではないけれど、しまわれる前にひとまずぽんと置かれたピアス。
かわいくて飾ってみたいただきもののお菓子の箱。(ありがとうございます!チョコレートはおいしくいただきました!🍫)
そして箸置き。
箸置きって京都の家では使う習慣がなくて、こちらに来てから使い始めたのだけれど、ほかのおうちは箸置きはどこにしまわれているのだろう。
シンクで洗ったら排水溝に落ちそう。
もしAKIHIDEさんのグッズの箸置きであるこの子が排水溝に落ちてしまったら立ち直れないので、彼はずっとテーブルの上に鎮座している。
こころも
ものに居場所をあたえれば、部屋は片付く。
きっとこころも同じなのだと思う。
よろこびの居場所。
しあわせの居場所。
それだけじゃなく、
かなしみの居場所。
くるしみの居場所。
つらさの居場所。
それらをきちんとしまうことができれば、きっと穏やかに過ごせる。
かなしみやくるしみ、つらさが溢れて、こころの部屋に散らかってしまっているときは、たいてい、余裕がないときだ。
だから、立ち止まる。
立ち止まれば、余裕ができる。
かなしみ、くるしみ、つらさをひとつずつ、それぞれの居場所にしまっていける。
今週はわたしにとって、立ち止まる時間が必要な週だった。
年末までがんばりきりたかったけど、しかたない。
わたしはこころの部屋の片付けに、いつも2日かかる。
しかたない。
そういう人間なのだ。
ありがたくお休みをいただき、復活したので、年末まであと少し、しゃかりきにはたらく。