- ・ライブに行かなくなって
- ・代わりに増えた支出
- ・自分のものを買える生活
- ・ライブに行っていたとき
- ・夢がかなう
- ・アイデンティティ
- ・正気に返る
- ・マイ・パラダイムシフト
- ・音楽との距離
- ・とはいえ
・ライブに行かなくなって
お金を全く使わなくなった。
ここ2~3年はずっと家計簿をつけているけれど、“バンギャル”の費目の前年同月との比較をまとめたら、きっとすごいことになると思う。
1回やってみようかな。
・代わりに増えた支出
代わりに増えたのが、自己投資というか、お洋服や化粧品などへの出費。
長年買わないと買わないとと思っていた新しい仕事用の服買ったり、仕事の服の系統を少しラフにしたり、サンダル買ったり、などなど。
先日のパーソナルカラー診断もそうだし、診断でおすすめいただいた化粧品はひととおり揃えた。(プチプラだったのでほんとにありがたい)
私服(とは言っても、仕事用の服の系統を変えてかっちりスーツ着るのをやめたので、私服と仕事用の境目が曖昧になった)も買いたくて、めちゃめちゃネット通販のサイト見ているけど、なかなかいいのに出合えない。
今度パーソナルカラー診断一緒に行った友だちとお買い物に行くので、その時にいろいろ見てみる。めっちゃ楽しみ。
・自分のものを買える生活
これまで、収入の半分近くを音楽関係に使ってきたので、自分の服にはあまりお金をかけてこなかった。
(…とはいっても、お金の使い方にメリハリがつきすぎていたので、ワンピースを3着いろち買いしたり、同じブランドのコートを型違いで2着買ったりしたりしていたのだけど…)
時間さえあれば、お金のことは考えずに、ライブにばかり行っていたので、
「わたしは“のこるもの”にお金を使えていないな」
という自覚がずっとあった。
それが今、ライブがなくなり、お財布を圧迫していた支出がスコーンとなくなったことで、自分自身にお金を使う余裕が出てきた。
そんな今の生活が、たのしい。
とてもたのしい。
世の中には、こんなたのしい世界があったのか。
せかいがめりめり開けていく感覚がある。
アラサーになってようやく、ふつうの女の子のお金の使い方ができるようになってきた、気がする。
・ライブに行っていたとき
ライブに行きまくっていた時は、お金の心配をするよりも先にライブの予定を入れていた。
だから、ライブ以外のことを考える時間はいつも、お金がない不安で心が圧迫されていた。
歳相応のお金の使い方が、あまりできていなかったと思う。
パーソナルカラー診断に行くのをためらっていたのも、ライブに行きまくっていて、
「パーソナルカラー診断にこんなにお金を払うなんて!」
と思っていたから。
パーソナルカラー診断は6,500円だったんだけど、せかいがめりめり開ける大きなきっかけになったし、とても満足している。
・夢がかなう
自分に使えるお金が増えたことで、前から
「やりたいな」
と思っていたことが少しずつ叶っている。
パーソナルカラー診断もそう。
夢が少しずつかなう日々を歩んでいけるのが、たのしい。
・アイデンティティ
夢をかなえる代わりに失ったのが、“バンギャル”というアイデンティティだ。
つい先日までは、“バンギャル”という部分に、自分のアイデンティティの軸を置いていたような気がするのに、近頃はそんな気持ちが全くなくなってしまった。
“バンギャル”という言葉を誇りを持って使っていたはずなのに、近頃は“バンギャル”という言葉を使うのが憚られて、“音楽”に言い換えることが増えた。
中学1年生に聴いたJanne Da Arcで音楽に出合って15年。
15年間のアイデンティティは、たった数ヶ月の緊急事態宣言で失ってしまうものなのだろうか。
・正気に返る
つい数ヶ月前までは、この状況に危機感を感じていた。
人生の無駄な要素を削ぎ落としたところで結局何も残らない。人生はそういう無駄によって豊かに形作られていたのだと思う。
全国津々浦々遠征していたわたしは今、どんどん正気に返っている。狂気の皮がはがれて正気に返ったわたしに一体なにが残るんだろう。
かといって狂気も取り戻せる気がしない。
“正気に返る”
この表現を使っていた時期は、まだよかった。
近頃はもう、正気でいることが当たり前になり過ぎて、“正気に返る”、という概念が失われつつある。
正気じゃないことが普通だったはずなのに、正気であることが普通になっていく。
わたしの人生の中でのパラダイムシフトが起きている。
・マイ・パラダイムシフト
パラダイムシフトとは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを指す。
ライブに行かない日常がふつうになってしまったことは、わたしの人生の中での劇的な変化だ。
さみしいし、申し訳なくもあるけれど、これでよかったのだとも思っている。
きっと、この状況がなければ、わたしは今年も100本に迫る勢いでライブに行き続けていたと思う。
でも、もうわたしも28歳。
りっぱなアラサーだ。
そのような生活は、遅かれ早かれやめないといけなかったのだと思う。
・音楽との距離
音楽をきっかけに出会ったたくさんのフォロワーさんにご覧いただけるであろうこの場所で、こういった心の内を書くことにはずっと抵抗があった。
でも、新しい生活が少しずつ馴染んできた今、思うことを書き残しておきたいと思い、書き留めておくことにした。
音楽にはたくさん救ってきてもらったのに、こういう状況の中で、音楽と距離を置いてしまうことを、とても申し訳なく思う。
きっと、わたしと同じような状況にいる人は決して少なくないはすだ。
ライブのない日常がふつうになってしまった今後、今までの動員を取り戻すことは難しい。
でも、それについて憂う権利はもう、わたしにはない。
わたしも、ライブという非日常を手放してしまったひとりだと思うからだ。