*SAKULIFE*

音楽と桜とミルクティーが好きな社会人が、日々の想い出やお気に入りをしまっておく宝箱。

コンプレックス & ミューズ。


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コンプレックス

「脚が太い」という呪い

「脚が太い」のがコンプレックスだ。

コンプレックスを通り越して、もはや呪いと言ってもいい。
初めて「自分の脚が太い」ことを自覚したのはいつだったであろうか。
おそらく、小学生だったのではないかと思う。

20年以上は、「脚が太い」というコンプレックスを抱えて生きていることになる。

そのコンプレックスを越えた呪いについては、「世の中の156センチ女子は、みんな45キロくらいだと本気で思っていた」 に詳しく書いた。

この呪いにかかり続けた結果、わたしは、街中を歩いていても、人の脚の細さばかりに目を向けては、「自分より脚の太い人は全然いない、みんなわたしより細い」と自己否定を続けてきた。

憧れを越えて

太い自分を否定し、細い人に憧れ続けた結果、わたしは深刻な痩身フェチになってしまった。

この痩身への憧れは病的であると、憧れを越えて、おそらくフェチの域なのであると、最近ようやく自覚するようになった。

宝塚を観ていても、すぐに脚に目が行ってしまう。
タカラジェンヌさんはみなさん脚が細い。
脚だけでなく全体的に細い。薄い。

ミューズ

“ミューズ”という言葉がある。
ミュージックやミュージックの語源となった女神の名だ。

パラダイス・キス」では、デザイナーにとっての「唯一無二の存在」のことを「ミューズ」と呼んでいる。

わたしはアーティストではないので、「ミューズ」という言葉を使うのはふさわしくないのだが、ここからは、「自分の中の理想の美の象徴」となる人物のことを「ミューズ」と呼ぼうと思う。

理想の美

わたしの理想の美。
それは、「完璧にかわいい」である。

黒髪ではなく茶髪。
面長ではなく丸顔。
ショートカットではなくロング。
パンツではなくスカート。
ブルーではなくピンク。

それらの要素をすべて兼ね備えた「完璧にかわいい」存在こそが、わたしにとっての理想の美であり、ミューズである。

2人のミューズ

わたしにとってのミューズは少なくとも2人いる。
青木美沙子ちゃんと、沢尻エリカだ。

青木美沙子ちゃんは中学生の頃からずっとわたしの憧れだ。
好きになって15年以上経つが、ずっとわたしの中の「完璧にかわいい」の中心に存在し続けている。

沢尻エリカも高校生くらいからずっと好きだ。
太宰治の映画では、沢尻エリカ演じる静子の色がピンクでとてもうれしかった。
蜷川実花が撮るピンクの沢尻エリカ
美しくないはずがない。

そして最近、わたしは新しいミューズに出会った。

宙組のトップ娘役、潤花ちゃんである。

潤花ちゃん

潤花ちゃんもとにかくかわいい。
非の打ちどころ…が、あるわけもなくかわいい。

幼稚園の時に宝塚に出会い、20年弱のブランクを経て再び観劇しているが、これまで出会ったタカラジェンヌさんの中でいちばんかわいい。

そんな潤花ちゃんが、トップ御披露目公演で、“スイーツをテーマにしたショー”に出演していたのだ。
スイーツといえば甘い。
甘いといえばピンクである。

わたしの中の「完璧にかわいい」の理想が目の前に現れたかのような潤花ちゃんが、スイートでピンクな世界観に染まっている姿。
好きにならないはずがないのである。

潤花ちゃん、とてもかわいかった。

「完璧にかわいい」の前に…

日曜日は宙組の千秋楽公演のライブビューイングを観てきた。
潤花ちゃんが、こんなにわたしの好みのど真ん中のスタイリングで出演するショーなんてもうこの先ないかもしれない。

潤花ちゃんに限らず、青木美沙子ちゃんや沢尻エリカもそうだが、わたしの中でピンクは正義だが、彼女たちにとっての正義がピンクなわけではない。
ほかの色ももちろん似合うのだ。かわいいから。

無事に最後の姿を画面越しに見届けた。
たいへんかわいかった。

そこでふと我に返って気づいたことがある。

「潤花ちゃんのこと、顔しか見てないな」と。

そう。
あれだけ街を歩けば人の脚ばかり見てしまうわたしも、ミューズを目の前にすると、全く脚に目も暮れなくなることに気づいたのである。

ミューズと脚

思えば、わたしのミューズたちは、比較的健康的な脚をしている。

青木美沙子ちゃんもインタビューで、
「足が太いのが悩みだったけどロリータファッションはコンプレックスを隠してくれる」
と言っていたし、沢尻エリカも潤花ちゃんも、病的に細い!という感じではない。
比較的健康的な体型である。

でも、それでもよいのである。

お顔立ちがみんなかわいいから。

かわいいお顔の前にわたしの痩身フェチは無力なのである。

(失礼な書き方になってしまったこと、お詫びいたします。申し訳ございません)

コンプレックスをなくす方法

「潤花ちゃんのこと、顔しか見てないんだな」
と思ったときに、逆説的に気づいたことがある。

それは、
「自分の顔がとびっきりかわいくなれば、脚の太さはどうでもよくなるのではないか?」
という仮説である。

生まれつきの顔を変えることはできないので、とびっきりかわいくなるのはなかなか難しいが、自分の顔を好きになるメイクは、今からでもできる。

ダイエットからメイクへ

実際に今、ダイエットの成果が出てきて、目標体重まであと一歩というところまで来ている。

脚も(端から見たらどうかわからないが)以前と比べればかなり細くなってきた。
鏡の中の自分の脚を見ては太いと落ち込むことは、ほぼなくなった。
(今も膝やふくらはぎは太いままなのが悩みだが…。)

病的な痩身フェチなのは自分自身に対しても変わらない。
今脚とかおなか周り以外はそこそこ痩せてきたので、少しずつ自分が好きになれているのを感じる。

そんな中で、少しずつ変わってきたのがメイクだ。

これまでは、
「わたしなんかがブラウンのアイライナーを使うだなんて」
「わたしなんかがブラウン以外のカラフルなアイシャドウを使うだなんて」
と、使うお化粧品に自分で制約をかけてしまっていたが、少しずつ、自分が「かわいい」と思えるお化粧品を手に取ることができるようになってきた。

たとえば、大粒ラメ入りのリキッドアイシャドウ。
たとえば、ブラウンのマスカラ。
たとえば、ブラウンのアイライナー。

アイライナーはまずダークブラウンからはじめて、先日ブラウンを買った。
漆黒以外でアイラインを引くのはわたしの中でかなり勇気のいる決断だったのだが、いざ挑戦してみると、とても使いやすい色なのだと知った。
ミルクブラウンやサングリアブラウンに挑戦する勇気はまだ出ないけど、いつか挑戦してみたい。

メイクに挑戦する楽しさが生まれたので、最近メイクも楽しくなった。
お化粧品をいただく機会も増えて、毎日違う色のリップをマスクの下に忍ばせたりしている。

そうしていく中で、脚に対するコンプレックスが少しずつ和らいでいる気がする。

もちろん、わたしの好きなミューズのみなさんのようにかわいくはなれないけれど、自分の好きな色を自分の顔に乗せることはできる。

「わたしなんて」とお化粧品の幅を狭めていた頃より、ずっと自由だ。

20代はもうそろそろ終わってしまうけれど、これからの人生はもっとメイクも楽しんでいきたい。